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第1回情報広告研究会 開催レポート

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【講師プロフィール】
橘川幸夫 
1950年、東京新宿生まれ。1972年、渋谷陽一らと音楽投稿雑誌「ロッキングオン」創刊。1978年、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊。その後、さまざまなメディア立ち上げに携わる。1996年、デジタルメディア研究所を創業。インターネット・メディア開発、企業コンサルテーションなどを行う。2004年、小規模コンテンツ流通システムとしてのオンデマンド出版社「オンブック」を創業。2006年、文部科学省の「新教育システム開発プログラム」に「ODECO」が採択され、開発・運用がスタート。2008年、「インターネット時代の新体詩運動」として「深呼吸する言葉ネットワーク」を推進。原稿執筆、講演など多数。

<主な著作>
『企画書』(’80/宝島社)『メディアが何をしたか?』(’84/ロッキングオン社)『ナゾのヘソ島』(’88/アリス館)『一応族の反 乱』(’90 /日本経済新聞社)『生意気の構造』(’94/日本経済新聞社)『シフトマーケティング』(’95/ビジネス社)『21世紀企画書』(’00/晶文社) 「インターネットは儲からない!」(’01/日経BP社)『暇つぶしの時代』(’03/平凡社)『やきそばパンの逆襲』(’04/河出書房新社)『風のア ジテーション』(’04/角川書店)『自分探偵社』(’04/オンブック)『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。』(’08/バジリコ)『森を見 る力』(’14/晶文社)ほか

 
-INDEX-
■テーマ:「広告はどこへ向かっているのか」
■メディアとは何か?
■大学時代にハマった同人雑誌制作。ミニコミとの出会い。
■ロックとの出会い。そして「ロッキンオン」の創刊にいたるまで。
■写植との出会い。写植屋に弟子入りする。
■コンピューターとの出会い。ホームページが生まれる。
■ロックを音楽の中に閉じ込めておくのではなく、生活の中に持ち込もう。
■参加型メディアの誕生。レスポンスがコンテンツになる。
■寄り添い、はみ出し、とどまる…を繰り返す。人とコミュニティの関係。
■発信者が費用を負担する新しいメディア、インターネット。
■インターネットがあれば、組織を飛び出しても、つながれる。
■コミュニティを意識した広告戦略が求められる時代。
■品質保障としての意味があった広告は、今や「無駄なもの」へ。
■一人ひとりが幸せになるための広告が求められる。

 
■テーマ:「広告はどこへ向かっているのか」

インターネットがなかった時代と、インターネット普及した時代では、産業構造も人間関係も、家族関係も全て変わってしまいました。人類史上、今までなかったものが起きている中、広告はどのような方向に向かっているのかについて、みなさんと一緒に考えていきたいと思っています。

 
■メディアとは何か?

まず、広告を出す際に前提となる、「メディア」の存在について考えていきましょう。メディアというのはもともと、「メディウム(間の、中間の)」というラテン語に由来しています。メディアというのは、人と人の間にあるものを指しているんですね。さて、ここで問題ですが、僕とあなたの間にあるものってなんでしょう?僕とあなたの間にあるのは、「空気」なんです。僕の声が音として空気を伝わり、あなたに伝わっているんです。すなわち、「空気」が「メディア」なんです。物理的に人と人をつなぐものを「メディア」と呼んでいるんですね。でも、つなぐものがあるだけでは成り立ちません。共通のプロトコル=約束事があるから、分かり合えるようになります。つまり、僕が「青空」といえば、みなさんはあの青空のイメージを持ちますよね。ただ、僕とみなさんが違う民族だったら、「青空って何?」となるかもしれない。 音だけ、言葉だけでは伝えられないことがあるので、共通認識が必要になるんです。ハード=メディアと、ソフト=プロトコルが合わさってこそ、「メディア」が意味を持つものになります。

 
■大学時代にハマった同人雑誌制作。ミニコミとの出会い。

僕が最初にメディアを作ったのは大学生のとき。國學院大学の文学部にいたんですが、小説家になりたい、文章を書くのが好きというクラスメイトを集めて、文学の同人雑誌を作ったんです。僕がはじめて書いたのが、「高倉健論」だったんですね。しばらくすると、「ミニコミ」が流行るようになってきました。「ミニコミ」っていうのは自主制作の雑誌。同人雑誌とミニコミってとても似ているんですね。原稿を集めて、印刷して、配布するというのは同じだから。 でも、「同人雑誌」っていうと古臭くて、「ミニコミ」っていうとカッコいい。そんな雰囲気があったんです。それで、僕らも「ミニコミ」を作るようになりました。その中で、同人雑誌とミニコミの違いってなんだろう?ということを考えたんですが、同人雑誌というのは同人、書く人が主役なんですね。一方、ミニコミは書く人よりも、メディアそのものが主役なんです。当時は、「なんとなくミニコミのほうが新しいな」という時代の空気感がありました。

 
■ロックとの出会い。そして「ロッキンオン」の創刊にいたるまで。

僕は高校生のときジャズが好きで、よくジャズ喫茶にいって本を読んでいました。あるとき、「ロック」のムーブメントが一気にやってきて、僕の心もロックに持って行かれちゃったんですね。日比谷の野外音楽堂のコンサートに行ったり、新宿にある伝説的なロック喫茶に通ったり。ジャズ喫茶は本を読みに行くという感じだったのに対し、ロック喫茶はうるさくて本なんて読めない(笑)。でもぼーっとして音楽を聞くのが快感で、通いつめていたんです。そのときロックとミニコミがとても似てる感じがしてね。ジャズやクラシックは「同人雑誌」。芸術家が自分の才能を磨いて、みんなの前でパフォーマンスをする。芸を見せるという世界。だけど、ロックは「場」が主役なんですよ。演奏者は一つのきっかけでしかなくて、ロックがあることでその「場」が高揚するんです。ステージ上にいる演者も、ステージ下で盛り上がるお客さんも、どちらも空間を盛り上げているわけです。参加者が場を作っているんです。つまり、メディアを一緒に作っている。僕はこれが新しいなと思った。楽器が弾けないけど、ロックがしたい。それなら言葉でロックを表現しよう。ロックは場だから誰でも参加できるんだ!という意気込みで、音楽投稿雑誌「ロッキンオン」という音楽雑誌を創刊することになります。22歳のときの話ですね。

 
■写植との出会い。写植屋に弟子入りする。

「ロッキンオン」は学生のグループで作っていたので、スタートはミニコミに近い感じでした。趣味の延長のような雑誌ですね。でも、4号目から雑誌コードで取次に通っちゃったんです。不定期発行だったのが、定期刊行になってとても大変な思いをしました。なにしろ大学生なのでお金がないわけです。予算の8割が印刷費に飛んで行きました。当時、ちょうど活字印刷が廃れてきて、「写植」という印字方法が世の中に流行り出すんです。写植とは正式には写真植字といって、文字の形を撮影して感材に焼き付けるもの。活版は文字を作るのが大変。写植はガラス版にフォントをペタっと貼ればできるので、デザインやフォントも簡単に作れるようになりました。さらに活版はスペースをとりますが、写植は感材一枚でOK。1972年というのは、活版から写植への移行期だったんですね。そんなわけで、ロッキンオンを作るために写植屋さんに発注していたんですが、一冊につき30万円位とられたんです。こんな高額じゃとても払いきれないということで、僕は思い切って写植屋に弟子入りしました。1年間修業して、写植を覚えたんですね。そして、一台200万円ほどの写植機を買ったんです。ロッキンオンの全ページは僕が写植を打っていました。ロッキンオンのほかにも、写植を受けていたんですけど、今度は写植業が儲かってしまったんですよ。活字から写植への移行期だったので、適正価格がいくらなのか、誰も知らないんです。だから、こっちが5000円といったら5000円、1万円といったら1万円、というように言い値でもらえました。その後、写植が広まって、大手印刷会社が参入してくると、業界相場が分かってくるようになるんですね。でも、10年も経たないうちに、電算写植というものが現れて、あっという間に写植が廃れてしまいました(笑)。

 
■コンピューターとの出会い。ホームページが生まれる。

また10年後に、全く同じような現象が起きたんです。コンピューターですね。誰もはじめはプログラムなんて組めない。秋葉原にオタクがいて、プログラムを組んで欲しい人はみんな、彼らに頼むんですよ。1プログラムがなぜか200万円だったんですね。大企業のリタイヤ組がベンチャービジネスの第一波を作った時期です。その後、僕は3度目の経験をしたんです。1995年のことでした。このとき、ホームページがはじまりました。ホームページが世界的にすごいことになっているけど、ホームページは誰も作ったことがない、と。デザイナーがMACを使って、パソコン通信をはじめていたので、ホームページ制作の依頼はみんなデザイナーのところに集まったんです。1ページ50万円なんていう高値でやりとりがされていたこともあったんですね。はじめてだから価格の相場が分からないんですよ。はじめにやって、上手く逃げたヤツが一番儲かってますよね(笑)。今でも真面目に続けてきた人が悲鳴を上げてますよ。逃げるタイミングが大切なんだと学んだ経験でしたね。

 
■ロックを音楽の中に閉じ込めておくのではなく、生活の中に持ち込もう。

ロックのあとにパンクが台頭してきて、ロックは終わりを迎えました。70年代までがロックの最盛期ですね。パンクがでてきたとき、僕は「単なるチンピラだ」と思ってたんですが、パンクはロックスターへのアンチなんですね。ロックは参加型。一人ひとりが主役。その時代が終わりを迎えたことで、「ロッキンオン」を辞めないか、と渋谷に持ちかけました。というのも僕は、ロックというものを音楽の中に閉じ込めておくのではなくて、一人ひとりが生活の中に持ち込むべきだと思っていたんです。僕は宝島の写植も担当していたんだけど、別冊宝島がはじまったときに、企画を組んだんです。色々な仕事に就く99人にインタビューする、という企画です。そのときのテーマはただ一つ。「人に言えないメリットとデメリットを教えてください」というもの。それぞれの仕事がロックなんじゃないか?という疑問に対する答えを知りたくて始まった企画でした。

 
■参加型メディアの誕生。レスポンスがコンテンツになる。

その後、「ロッキンオンから音楽を外した雑誌を作りたい」と声を上げ、おしゃべりマガジン「ポンプ」という投稿雑誌を創刊したんです。それが1978年のことでした。自分が体験したことを投稿する雑誌なんですが、特徴的なのは投稿者の名前や住所も書いてあるんです。だから嫌がらせの手紙もファンレターも届くんです。なぜそうするのか?それは、雑誌を買って、そこから始まるものを期待していたから。メディアに力を持たせたかったからなんですね。そこで僕たちはありとあらゆる投稿を集めました。料理のこと、生活のこと、アルバイトのこと。ボイススクランブルというコンテンツがあるんですが、原稿に対するレスポンスが書けるんですよ。投稿した原稿に対して、さらに投稿できるんです。一方通行のメディアから、参加型のメディアが誕生しました。才能ある人は自分の表現をみんなに見せる一方通行型のメディアでいい。でも普通の人たちは表現したいものがない、分からないんです。でも、テーマを与えて「これについて書いてください」と言えば、書くことができるんですね。参加型メディアのコンテンツは、レスポンスによって成り立っているんです。オリジナルではなく連鎖なんです。オリジナルな人はレスポンスが必要ないんです。参加型メディアは雪だるま式。みんなで場を作ってコンテンツを充実させていくんです。それがロックなんです。昔の編集者であれば「こんなのダメだ」と言われるような原稿を、僕は集めて載せていました。自分の感じたことを伝えることに価値を感じたから。実感と体験がリアルそのものだからです。

 
■寄り添い、はみ出し、とどまる…を繰り返す。人とコミュニティの関係。

ポンプ時代に分かったとがあります。それは人とコミュニティの関係です。人が生まれて、だんだん増えていって、仲間を作る。協力して狩りをしたり、農耕をしたり。だんだん人が集まってくることで、村が出来てきます。大きくなると都市になる。これが人間の原理です。はじめはバラバラだった人が集まってくる。これが、「寄り添う」段階ですね。だんだん人が密集してくると、法律や制度が整備されるようになる。そうなると、この中から飛び出してくる人がいるんです。共同体からはみ出してくる人が生まれるんですね。村の連帯が強固になればなるほど、離れていく人も増えていきます。この第二段階が、「はじける」段階。共同体の中はめんどくさいけど、安心なんですよ。そこにいる限りは平穏に暮らしていける。でも我慢できない人は、飛び出していく。飛び出した人たちは、寂しい、不安な気持ちを抱えています。そんな同士が集まって、また寄り添っていきます。暴走族なんかはこの典型的な例ですよね。他にも、同じようなファンクラブを作ったり、マニアの世界でもたれあっていく。寄り添いが強くなれば、またはみ出してくる人がいるんです。僕はロックというのは、はみだすことが目的じゃなくて、はみ出したところで「とどまる」ことだと思うんですね。これがデビッドボウイなんですよ。ステイウィズミー(とどまる)なんです。とどまることがものすごく大事なんです。ここで、とどまった同士がまた「つながる」んです。とどまらない人同士がつながるのは、単なる名刺交換会。ロックな人というのは、共同体と離れたところで一人で生きていくという自覚を、覚悟を持った人なんです。そして、とどまった同士が出会う、これがインターネットが誕生した意味なんです。覚悟を決めた同士がつながれるのがインターネットなんです。

 
■発信者が費用を負担する新しいメディア、インターネット。

インターネットは、一つひとつのつながりのネットワーク。95年に一気に広がりを見せました。インターネットには、大事な要素があります。一つは、つながりっぱなしということですね。ネットワークが途切れることがないということです。そしてもう一つの面白い特徴は、発信者が費用を負担するということ。今までのメディアは、受信者が払うのが普通でした。本を読みたい人が本代を払う、映画を見たい人が映画代を払う。でも、インターネットに関しては、情報を出す人がお金を払っているんです。ネットにブログを書くのはただじゃない。書きたい人がパソコンを買って、通信代を払って、表現をしてるんです。これはギャラをもらって原稿を書くのとは違う。インターネットは、お金を払ってでも、表現したいこと、伝えたいことを書きたい。これは、インターネット上で著名な作家が小説を発表するよりも、女子高生がホンネを伝えるほうが、作品としての完成度が高いということなんです。原稿料をもらわなくても表現したい人がいる。そうすることでバランスが取れる人がいるんですね。インターネットは自分がお金を払っているという観点から見ると、ブログってその人の広告なんです。自分はここにいるよってアピールしてるんです。モノを売るのではなく、自分のことを証明する、小さなアピール広告です。なぜそんな広告をするかというと、僕たちはもう村の中にいないんですよ。孤立しているんです、バラバラに。村から飛び出して、とどまっているから、自分はここにいることを広告しなきゃいけないんです。

 
■インターネットがあれば、組織を飛び出しても、つながれる。

ちょっと話は変わりますが、「UBER(ウーバー)」というアプリを知っていますか。これは、タクシー会社が出したタクシー配車のアプリなんですが、随分と普及してきました。普段、タクシーは街を走っているものですが、一日の大半をお客さんを捕まえるために無駄な走行をしているんです。そして、お客さんが乗った分でマイナス分を回収しようとしているんですね。それじゃあムダすぎる、効率的にお客さんを拾えるようにするため、このアプリが生まれた。携帯アプリから今いる場所にハイヤーを呼ぶことができ、決済はアプリ内で行なうため、その場で料金を支払う必要はありません。すべてクレジット決済となります。このアプリをユーザー視点ではなく、タクシー運転手の視点で見てみると、積極的にUBERを利用すべきなんですよね。これまで組織に吸い取られていた手数料が、自分のところに入るようになり、ユーザーもタクシー運転手もwin-winになります。これまで、会社という村の中で生活が保障され、安住していたけど、そこから出て、システムを使ってお客さんと出会えばいいんです。これがとどまるということなんです。昔はコンビニが台頭してきて酒屋がなくなってきたように、組織が組織を壊していく流れがありました。今は個人がインターネットを利用して、古い組織を壊していく時代になりました。

 
■コミュニティを意識した広告戦略が求められる時代。

村や都市が壊れてバラバラになる前、つまりインターネットがない時代は、派手な広告が必要でした。影響力のあるタレントを使って、大々的にプロモーションをして、人を集める必要があったんです。でも、コミュニティがあれば広告宣伝費はかかりません。インターネットの時代は、新しいコミュニティが生まれる、ネットワークが生まれる時代です。一人ひとりがたくさんのコミュニティに属しています。これをファンクショナルコミュニティと呼びます。村のコミュニティは単一だけど、インターネット時代は、一人が複数のコミュニティに参加できるようになった。となると、コミュニティ型のインターネット広告が必要になったんです。 ここで、ジャパネットたかたを例に挙げます。ジャパネットたかたは、テレビ通販で儲かっているわけじゃないんですね。商品を申し込んだ人に色んなサービスを提供しているんです。一つのコミュニティを作っちゃったんです。テレビはコミュニティを作るための手段だったんです。インターネット時代の会社にとって、一番大事なことは、コミュニティを維持すること。これが新しい宣伝になるんです。具体的には、コールセンターの教育が最大の広告宣伝になる。ここでお客様との間に信頼関係が生まれれば、商品を買ってくれるから。今後の広告戦略は、どうコミュニティを形成するか、そのコミュニティに対してどんなアプローチをしていくかが問われていく。コミュニティを意識した広告戦略が求められると思います。

 
■品質保障としての意味があった広告は、今や「無駄なもの」へ。

今、広告は厳しい局面に来ています。モノが売れると「広告が良かった」と言い、売れないと「商品が悪かった」と言うのは、代理店のエゴです。10年前、ある大手飲料メーカーのイメージ調査をしたら、とても意外な結果が出ました。なんと、ブランド評価がかなり悪かったんです。「広告にお金をかけすぎているので、その分、商品の値段に跳ね返っているのではないか」と考える人が多かったんですね。広告をすればするほどブランディングが落ちてしまっている。それまでは、いっぱい広告を流せば、品質保証の意味があった。宣伝できるほど、大量生産できるほどの体力がある会社だから、信頼性がある、という風に。でもそれは、大量生産の初期の段階でしか通用しませんでした。日本は成熟しちゃったんですね。消費者はもう、そんなんじゃ騙されません。商品を見たら、どれだけ宣伝費が掛かっているのかが分かる。広告費をかけるくらいなら、商品を安くしてよという気分が出て来ちゃっているんです。今までのやり方に捉われていると、足元を救われることになってしまいます。

 
■一人ひとりが幸せになるための広告が求められる。

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20世紀は、国家においても会社においても、大組織を目指して、無駄のない組織を作ろうと頑張ってきた時代なんです。 でも21世紀はインターネットが台頭してきて、組織の時代じゃなくなりました。これからはよりもっと、「一人ひとりが幸せになる」ということに焦点があたるようになります。これまでは豊かになるために、組織が必要でした。効率的にモノを作り、モノを売る。でも今はもう僕らは豊かになっちゃった。その次は、自分たちが幸せになることを目標にしているんです。組織のための広告と、個人のための広告。個人のための広告である情報広告が、これからは求められるようになっています。

 
次回は1月26日、高橋朗氏(有限会社無敵ブランド代表取締役先生)による「ブランディングと広告」です。